南伊勢の民話

更新日:2022年03月07日

~ 南伊勢の民話について ~

minwa

 

南島町史・南勢町誌に掲載された民話を、『南伊勢の民話』として採録。

昔からこの地に伝わる民話に、挿絵をいれて楽しく読んでいただけるような冊子を制作しました。

 

↓ダウンロードはこちらから(PDFファイル)↓

南伊勢の民話(冊子)(PDFファイル:4MB)

minwa2

 

南伊勢の民話、続編ができました!

各地での聞書を中心に、郷土の民族資料も取り入れて、新たな民話を採録しました。

親しみやすい地域の昔話をたくさん掲載しています。

 

↓ダウンロードはこちらから(PDFファイル)↓

続・南伊勢の民話(冊子)(PDFファイル:3.5MB)

製本版のご案内

下記の申込フォーム、または窓口にて販売しております。

詳しくは教育委員会もしくは愛洲の館(電話:0599-66-2440)までご連絡ください。

◎販売場所:教育委員会事務局(南島庁舎)・愛洲の館

◎価格:各500円(税込) ※送料別で、郵送対応もできます。

インターネットからのお申し込み

次のURLより、直接お申し込みが可能です。

◆URL

https://logoform.jp/form/QmXN/79476

◆QRコード

minwaqr

一部紹介

◆水神池と源太(内瀬)

 昔、伊勢路川は今の浜の前をとおって、水神池へと流れていた。今よりはずっと大きく、底もはかり知れない深さをもっており、気味悪いところだった。ここに池の主といわれる「うなぎ」が住んでいた。雨の降る夜は童女となって、池の表面によく現れたそうだ。

 その池のそばに源太という勇敢な男が住んでいて、ある夜源太は夢を見た。

 池の主が美しい娘の姿で現れ、「明日、鶴路山に住む大きな毒グモが、水神を襲ってくるので、私一人だけでは太刀打ちできないから力になってほしい」と頼んだ。源太がうなずくと、「戦いになったらころあいをみて、『源太ここにあり』と大声でどなってほしい」と言った。源太はもう一度うなずいたところで、夢から覚めた。

 翌日、約束の時がきた。その夜は、水神池の上を生臭い風が吹いて気味の悪い夜だった。源太は恐ろしかったが、約束をしたので水神池のほとりで待っていた。

 そのうち夜もふけると、鶴路の山の上で大きな目玉のようなものが二つ、異様に光り、にわかに一面の黒雲がわき起こって、すごい速さで水神池へ襲ってきた。これに対し、水神池からは太い水柱が立ち上がり、ここに黒雲と水柱が入り乱れ、大雷鳴となった。かなり勇気のあった源太も恐怖のあまり、「源太ここにあり」というのを忘れてしまい、はうようにして家へ帰って寝てしまった。

 翌朝はなにもなかったように水神池は静まり返り、朝日がギラギラと輝いていた。しかし、岸辺の繁みのなかに、毒グモに食い切られた一斗樽ぐらいもある大きなうなぎの首がころがっていた。このことがあってから、源太の家には 不幸が続き、ついに滅んでしまった。今では、源太の家の跡と井戸が残るだけといわれる。

---南伊勢の民話 より

 

◆海からあがった観音さま(河内)
 昔、吉津の海辺に小さな村があった。人々は漁をして暮らしていたが、あるとき湾内に大きな一頭のクジラが迷い込んできて騒ぎになった。
 迷い込んできたクジラをよく見ると、頭になにやらきらきらと光る小さなものが乗っている。たまたま漁をしていた地元の漁師が「あれは仏像さんだ」と気がつき、すぐさま持っていた網をクジラの頭にむかって投げ入れた。
 漁師が小さな黄金の仏像をすくいあげると、クジラはみるみるうちに大きな岩となり、西方の海面が黄金色に染まったと伝えられている。地元の人々は山のふもとに小さな祠を建てて、この観音像を大切にお祀りした。

 ある日、都から行基という偉いお坊さんが村にやってきた。話を聞くと、聖武天皇の命をうけて、大仏建立の浄財を求めて各地を巡る途中にたまたま立ち寄ったのだという。そこでこの仏像を見て驚くと、これは立派な観音像であると話して、この仏像を聖武天皇に献納することとなった。
 聖武天皇に献納された仏像(十一面観音様)は、奈良の東大寺二月堂に納められたと伝えられており、代わりにいただいた仏像(聖観音様)は、奈津の御本尊として地域の人々に親しまれている。

---続 南伊勢の民話 より