南伊勢町の歴史・偉人

更新日:2025年05月26日

歴史に名を刻んだ二人の偉人、「河村瑞賢」と「愛洲移香斎」。

彼らが生まれ育った南伊勢町で、ゆかりの地をのんびり巡りながら、その大きな足跡に触れてみませんか?

■大商人・河村瑞賢(かわむら ずいけん)

河村瑞賢の銅像写真の画像

江戸時代の物流網を革新し、日本の発展を支えた稀代の実業家

南伊勢町・東宮に生まれた河村瑞賢(かわむらずいけん)は、江戸時代前期に前例のない大規模な治水事業や海運航路の整備を次々と成功させ、大商人と呼ばれた人物です。

その卓越した計画性と実行力に加え、人望も厚く、多くの人々からの信頼と協力を得て、数々の困難な事業を成し遂げました。

特に瑞賢が見出した「東廻り航路」「西廻り航路」は海運史上に残る大事業と呼ばれ、日本中の物流を革新し発展させたことから、人々の生活が少しずつ変化していく大きな要因になったと言われています。

また、治水工事では現在も残る大阪・淀川(よどがわ)の治水工事が有名で、四年の歳月をかけて切り開かれたのが今も残る安治川(あじがわ)です。その後も岐阜県の長良川、中津川の治水工事にも尽力し、成功を収めることとなります。

 

仕事を頼めば人に慕われ機知に富み、関わる者みんながやる気を出して仕事に取り組んだそう。そんな「頼みがいのある人物」として人々に知られた河村瑞賢には、多くの逸話も残ります。

いまでも地元・南伊勢町では「瑞賢さん」と呼ばれて親しまれており、「東宮資料保存館」や「生家跡地」など、瑞賢さんゆかりのスポットが楽しめます。

■剣祖・愛洲移香斎(あいす いこうさい)

愛洲移香斎の銅像写真の画像

剣術の源流を創り、武道の歴史に不滅の足跡を刻んだ人物

日本がまだ戦国時代であったころ、伊勢愛洲氏(いせあいすし)出身の移香斎は武者修行のため、日本中を旅し、日向国の鵜戸大権現(現在の宮崎県鵜戸神宮)に着きました。

そこで移香斎は鵜戸大権現の洞窟のなかで香を焚き、祈祷を始めます。声一つない静けさの中で祈祷をおこなっていた21日目の明け方、ゆらゆらと影が揺らめいてクモが突然目の前に降りてきました。

このクモを払いのけようとしても、つかもうとしても散り散りに四散して、つかめません。その変幻自在の様子をみた移香斎は閃きを得ます。

すると不思議なことに、そのクモが老翁の姿に変わり、「これを陰流(影流)-かげりゅう-と呼び、世の中に広めるように」と移香斎を悟したといいます。

こうして開眼された陰流は柳生新陰流をはじめ、後世に200余の流派を生むこととなり、のちに愛洲移香斎は「剣祖」と呼ばれるようになりました。

 

南伊勢町では今でも全国各地から剣士が集まり武芸奉納を行う「剣祖祭」がひらかれており、「愛洲の館」では移香斎ゆかりの展示が行われています。

瑞賢さん・移香斎の話も掲載!「南伊勢の民話」

南伊勢の民話の画像
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